6月8日 古地図散歩に行こう!竜閑川跡

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    江戸時代の地図を見ながら東京の町を歩く歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、6月8日の午後は竜閑川の跡を歩いてきました。


    竜閑川は江戸時代の前期に掘られた水路で、外堀の鎌倉河岸から始まり、途中で直角に右に折れて隅田川へと続いていました。途中の直角に折れた場所から隅田川までは浜町堀(浜町川)と呼ばれていました。


    その竜閑川は昭和25年に埋め立てられてしまいましたが、今もビルの谷間の細い道路としてその跡地がくっきりと残っています。今日はその跡地をたどって、隅田川まで歩きます。


    その竜閑川が外堀から分かれるところには「竜閑橋」という橋が架けられていました。大正時代に造られたコンクリート製の竜閑橋が今も残っていて、道路の端の緑地に置かれています。


     


    ここからスタートです。あいにく雨が降ったりやんだりの天気ですが、これ以上天気が悪くならないことを祈りつつ、歩いて行きましょう!

     


    江戸時代の地図を見ると竜閑川沿いに「囚獄 石出帯刀」と書いてあるところがあります。ここは小伝馬町の牢屋敷です。現在はお寺や公園となっています。


    浜町堀の跡に入ると少し寄り道をします。江戸時代の地図に「ケンヤタナ」とカタカナで書かれている場所は、「切られ与三郎」の話で「死んだはずだよお富さん♪」の舞台玄冶店です。


     


    江戸時代の初期に幼少時の徳川家光の疱瘡を治療した医師岡本玄冶の子孫の屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれるようになりました。


    ちなみに家光の治療をした初代岡本玄冶が屋敷を賜った場所という解説をときどき見かけますが、初代のころのこの場所は吉原遊郭でしたので、屋敷を賜ったとしたらその子孫というのが正しいでしょう。


    浜町堀が隅田川に流れ込むところには大名屋敷が並んでいました。そのうち江戸時代の地図に「松平三河守」と書かれている津山藩松平家の下屋敷の跡は、現在公園になっています。近くの別の大名屋敷の跡から出土した庭石も置かれています。


     


    箱崎ジャンクションに出ました。現在ジャンクションを含めた高速道路のある場所は、江戸時代には隅田川でした。つまりジャンクションの手前で浜町堀は終わっていたのですが、今回の古地図散歩では「中洲」と呼ばれていた隅田川の葦原の跡を歩いて清州橋まで行きます。


    この中洲は、江戸時代の中期の一時期埋立地になったことがあるのですが、その後また川に戻され、そして現在は再び埋立地となって「日本橋中洲」という住所も定められています。


    この「中洲」と対岸の「清澄」を結ぶ橋なので「清州橋」、関東大震災の復興事業の一環として架けられた橋で、国の重要文化財に指定されています。


     


    あいにくの天気でしたが、無事に隅田川に着きました。お疲れ様でした。


    今回のコースとみどころ 
    神田駅→竜閑橋跡→白旗神社→今川橋跡→時の鐘跡→小伝馬町牢屋敷跡→竹森神社・竜閑児童公園→三光稲荷神社 →橘稲荷神社→玄冶店跡→蛎殻銀座跡→大観音寺→西郷隆盛邸跡→谷崎潤一郎誕生の地→中洲跡→清洲橋 


    歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

    5月31日 古地図散歩に行こう!番町旗本屋敷めぐり

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      江戸時代の古地図を見ながら東京散策、歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、今回は江戸時代に「番町」と呼ばれていた一番町〜六番町、それに麹町と九段南の一部の辺りをめぐってきました。


      この辺りは江戸時代初期に将軍直轄部隊である一番組から六番組までの6つの部隊の武士たちが組屋敷を構えていました。番組の住む町だから「番町」です。怪談の番町皿屋敷の舞台としても有名ですが、実はこの話は明治時代にできた話ですので今回の古地図散歩には出てきません。


      この番町を江戸時代の地図を見ながら巡り、当時住んでいた旗本屋敷の跡を見て回るのが今回の古地図散歩です。


      江戸時代の番町の写真を見てみますと、たくさんの旗本屋敷が並んでいます。まるで現在の住宅地図のようです。たとえばこの部分には幕末に幕府の要職を歴任した川路聖謨と井上清直の兄弟の屋敷が描かれています。


       


      川路聖謨の屋敷には「川路太郎」、井上清直の屋敷には「井上信濃守」と書かれています。さあ、探してみましょう!


      そしてこちらにはやはり勝海舟らとともに幕末の幕府の中心人物の1人だった大久保一翁(地図では「大久保伊勢守」)、塙保己一の息子で若き日の伊藤博文に暗殺されたと言われている塙次郎、徳川家康の有力武将だった本多作左衛門の子孫、富士川の左岸に雁堤を築いた古郡孫太夫の子孫の屋敷があります。


       


      江戸時代の地図を見ながらこれらの屋敷を探して歩くこの番町の古地図散歩、個人的にはとてもおもしろいと思うのですが、実はこの面白さがなかなか人に伝わりづらいところがあります。そのもっとも大きな理由は、インパクトのある写真が撮れないから。


      それら歴史に名を残した人々の屋敷の跡に行ってみても碑や説明板があるわけじゃありません。普通の家やビルが建っているだけなのです。屋敷の跡地を探すのはおもしろいのですが、見つかった場所を写真に撮っても「ん?普通の町じゃん」となってしまうのです。


      ちょっと人集めが難しい古地図散歩ではありますが、今回はなんとか3人の人たちが参加してくれました。まずは四ツ谷駅に集合して、駅前にある四ツ谷門の跡を見に行きます。


       


      いよいよ上にある地図の中に踏み込んでいきます!


      番町には川路聖謨邸、戸田正意、井上清直、坪内定保、大久保一翁、本多作左衛門、古郡孫太夫、塙保己一・次郎、村田蔵六、阿部正外、品川式部太夫などの江戸時代の武士の屋敷の他、藤田嗣治、島崎藤村、菊池寛、有島武郎など画家や文学者の家の跡、また日露戦争時の海軍司令官東郷平八郎の屋敷の跡もあります。

       


      東郷平八郎の屋敷跡は現在公園になっています。屋敷は平八郎夫妻の死後は記念館になっていたのですが、第二次大戦の空襲で全焼してしまい、東郷平八郎ファンから送られたライオンの石像だけが公園に残されています。


      そして靖国神社の一角には、幕末の剣豪斉藤弥九郎の練兵館道場の碑があります。神道無念流の道場でしたが、ここでは多くの長州藩士が剣を学び、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、品川弥二郎、井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)らが通っていたそうです。


       


      番町の町を巡りながら、半蔵門駅まで歩いてこの古地図散歩は終了しました。


      歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

      5月24日 古地図散歩に行こう!白金台〜田町

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        江戸時代の古地図を見ながら東京の町あるき、歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、5月24日は白金台駅から田町駅まで歩きました。


        白金台の台地上から始まって、下って上って三田台へ。そこからもう一度くだって田町駅へというコースです。


        まずは白金台の駅を出るとさっそく下り坂、日吉坂です。日吉某(名は喜兵衛とい説もあり)という能楽者が住んでいたことが坂の名の由来だとか。この坂道を下ると清正公として有名な覚林寺です。


         


        その呼び名のとおり加藤清正を祀る社殿のあるお寺です。もっと言ってしまえば、お寺か神社かわからない場所です。江戸時代前期に日蓮宗の日延というお坊さんが建立しました。日延は水仙を育てる名人だったので、幕府が水仙畑としてくれた土地に建てたと伝わっています。


        ところでこの日延、豊臣秀吉による朝鮮出兵のときに、加藤清正が日本に連れ帰った朝鮮の王族だったと言われています。その王族が加藤清正を弔うための寺(神社)を建てたとは、2人の関係がどういうものだったのか気になります。


        この覚林寺は、山門と清正公堂が江戸時代の建築、なかなかの風格です。


        覚林寺の前から再び上り坂となります。これを上ったところが三田台です。肥後細川家の屋敷があった跡地には、大石内蔵助ら赤穂浪士17名の切腹の地があります。


        やがてお寺ばかりの場所に突入しますが、これが三田の寺町と呼ばれているところです。寛永13年(1636)に外堀を造り江戸城の領域が拡大しました。そして外堀の内側は原則的に武家屋敷街と、それらの屋敷が生活するのに必要な町人が住む町となりました。そのために外堀内にある寺は全て外堀の外側に集団移転しましたが、その移転先の一つがこの三田の寺町なのです。


        この寺町にはけっこう個性的なお寺もありまして、例えば玉鳳寺にはおしろい地蔵というものがあります。まだ玉鳳寺が京橋にあったころ(移転前ですね)、寺の住職が道端の汚い地蔵をあらって白粉をぬってきれいにしたところ、住職の顔の痣が消えていたそうです。そこで、おしろいを塗って祈願すると美顔になれる、あるいは体の悪いところが治るという御利益があります。


         


        そして、さっきは加藤清正ゆかりの寺がありましたが、三田の寺町には福島正則のお墓のある正覚院(江戸時代の地図には正覚寺と書いてあります)もあります。


        また、太古の昔には三田台の下まで海が迫っていて、縄文時代から台地上で人が住んでいました。土岐家の屋敷跡にある三田台公園では、縄文時代の住居跡や貝塚が発掘されています。公園内では、この貝塚の断面を剥離したものが展示されています。


         


        「ブラタモリ」で満面の笑みを浮かべた大使がタモリを出迎えたイタリア大使館の前を通りますが、私たちを笑顔で出迎えてくれる人は誰もいません。そうこうしているうちに田町駅前に出ました。


        田町駅前にある三菱自動車ビルのある場所は、江戸時代には薩摩藩の蔵屋敷でした。蔵屋敷とは国元から運ばれてきた米を、江戸で暮らす藩主と藩士たちのために蓄えておく場所です。幕末である慶応4年(1868)3月14日に、この屋敷で西郷隆盛と勝海舟が会見し、江戸無血開城を決めました。その碑がビルの前に建っています。

         


        この日の古地図散歩は田町駅で終わりとなりました。


        今回のコースと見どころ
        瑞聖寺→覚林寺→樹木谷→肥後細川家屋敷跡→大石内蔵助切腹の地→荻生徂徠の墓→幽霊坂→玉鳳寺→福島正則の墓→宝生院→イタリア大使館→龍生院→春日神社 →水野家屋敷跡→西郷・勝会見の壁画


        歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

        5月18日 古地図散歩に行こう!半蔵門〜新宿

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          江戸時代の地図を見ながら東京の町を歩く歩き旅応援舎の古地図散歩、5月18日は半蔵門の前から新宿まで歩きました。


          江戸時代、半蔵門の西側には甲州道中が延びていて、その両側には町家が置かれていました。


          その中で“首斬り浅右衛門”こと山田浅右衛門の屋敷跡、平川天神、この江戸の地図の版元である金鱗堂の跡などをめぐった後、紀伊藩邸横の坂道、清水坂をくだります。

           


          くだった先が清水谷です。紀伊藩邸内によい清水の湧く井戸があったことが地名の由来です。この辺りには、紀伊藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の屋敷が隣り合わせてありました。清水谷に対する上り坂「紀尾井坂」の名はここから来ています。


          現在、彦根藩井伊家の屋敷跡はホテルニューオータニになっています。駐車場のはずれに「近江彦根藩井伊家屋敷跡」の碑があります。

           


          紀尾井坂を上ると目の前に迎賓館があります。もともとは東宮御所として建てられたものですが、広すぎて使い勝手が悪いため、戦後に迎賓館として外国からの要人接待に利用されるようになりました。この迎賓館の西側には四谷の寺町があります。


          ここには様々ないわれのある寺がありますが、その中の一つ東福院には「豆腐地蔵」と呼ばれるお地蔵様があります。

           


          むかしあこぎな商売をする豆腐屋がいたそうです。その豆腐屋にたびたび豆腐を買いに来る僧がいまして、その僧が来た日には必ず売上の中に葉っぱが混じっていたそうです。豆腐屋はキツネかタヌキの仕業に違いないと思い、ある日豆腐を買いに来た僧の手に切りつけ、その血痕の跡をたどりました。すると行き着いた先がこのお地蔵様でした。お地蔵様があこぎな商売をする自分を戒めに来たのだと知った豆腐屋は、それ以降は心を入れ替えてよい商売をするようになったということです。それにしても・・・


          あこぎな豆腐屋って、いったい何をしてたんだ?!

          想像がつかない!!



          四谷から新宿へと向かいます。現在は「新宿区四谷」ですが、江戸時代の「四谷」は非常に広い範囲を指していて、「四谷」という地域の中に「新宿」という地名がありました。江戸時代と現在では、地名の上下関係が逆転しているのです。


          その四谷には玉川上水の水番所がありました。江戸の町のほとんどは埋立地であったため、井戸を掘っても水が出ませんでした。そのために生活用水を供給する水道網が江戸では発展したのです。


          その江戸の水道に水を送っていた玉川上水から、地下の水道管に水が入る入口に設けられていたのが、水の汚れなどをチェックする水番所でした。跡地に碑が建てられています。

           


          大きすぎて、道を通り人に気付いてもらえることの少ない碑です。(みんな壁だと思っています)


          道の両側に商店が並ぶ場所にきました。新宿です。もともとは高藤藩内藤家の屋敷の北側にできた新しい宿場だったので「内藤新宿」でした。その新宿には内藤新宿の人々が信仰し、内藤家の墓所もある太宗寺があります。銅製の地蔵尊の大仏のあるお寺です。

           


          今回の古地図散歩は、ここから新宿3丁目の交差点まで歩いて終わりとなりました。


          今回のコース
          半蔵門駅駅→半蔵門前→どら焼き発祥の地→平河天満宮→首斬り浅右衛門邸跡→金鱗堂尾張屋跡→清水谷公園→紀尾井坂→迎賓館前→塙保己一・高松喜六の墓→豆腐地蔵→須賀神社→於岩稲荷田村神社→長善寺→四谷大木戸跡→太宗寺→新宿追分

          歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。
           

          5月18日 古地図散歩に行こう!目黒〜白金台

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            江戸時代の古地図を見ながら東京を歩く歩き旅応援舎の「古地図散歩」、5月18日は目黒から白金台まで歩いてきました。


            江戸の郊外に位置していた目黒は、当時から目黒不動の参拝客で賑わっていた地でした。現在も目黒不動瀧泉寺を中心に、個性的なお寺が集まっています。


            まずは瀧泉寺。目黒不動として知られるこのお寺は小高い丘の上にあり、たくさんの湧き水が噴き出していることからこの名があります。本尊のお不動様は秘仏ですが、泉の中には水かけ不動様がいらっしゃいます。


             


            この周辺にはタコが台座を支えている「蛸薬師」のある成就院、木造五百羅漢像のある五百羅漢寺、永代橋崩落事故の供養塔がある海福寺などの寺院が集まり、また、サツマイモの栽培法を広めた青木昆陽のお墓もあります。仏像の好きな人にはまさにワンダーランドなのです。

             


            目黒川を渡ると目の前に急激な坂道が見えてきます。行人坂です。この坂道の途中にある大圓寺は、江戸で2番目の大火事だった目黒行人坂の火事(1772)の火元となったお寺です。


            この寺の僧侶が住職に怨みを持ち、寺に火を放ったのが延焼して江戸を焼き尽くす大火となりました。この放火した僧を捕まえたのが火付盗賊改の長谷川平蔵。とは言っても「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵じゃありません。火付盗賊改の長谷川平蔵は、実は長谷川宣雄と宣以の2人いて、親子の関係にあります。「鬼平」として有名なのは息子の宣以、行人坂の放火犯を捕らえたのは親父の宣雄でした。


             


            この大圓寺にも五百羅漢像があります。この大火で死んだ人たちを弔うための羅漢像です。


            行人坂を登り切ると白金台に出ます。この高台の上には、江戸時代にはいくつもの大名の下屋敷がありました。そのうちの一つ、讃岐高松藩の松平家の下屋敷は、戦国時代の豪族柳下上総介の屋敷跡にあります。この柳下上総介はたくさんの銀(白金)を所蔵していたため、「白金長者」と呼ばれていました。それが白金台の地名の由来です。


            ところでこの「白金台」、「シロガネーゼ」という言葉がありますが、本当の読み方は「しろかねだい」と濁りません。


            さて、白金長者の屋敷跡にして讃岐高松藩の下屋敷跡ですが、現在は国立科学博物館付属自然教育園になっています。白金長者の屋敷の土塁の跡は現在も残っていて、園内に入れば見ることができます。本来は入園料310円ですが、この日はちょうど無料公開の日でしたので入ってみました。


             


            なんと内部は密林・・・


            なにしろ植物800種以上、動物・昆虫は2000種以上が生息しており、それを知った牧野富太郎博士の提唱によって国が動植物を保護するために現在の形になったのでした。


            2000種の昆虫の中に「G」は含まれるのか?などということはこの際忘れることにして、江戸時代にはこの白金台に増上寺の塔頭である8つの寺院がありました。これらは増上寺の僧侶の隠居所として建てられたお寺ですので、「増上寺下屋敷」と呼ばれていました。


            8つあった寺院のうち3軒は廃寺となり、そこへ新たに3つの寺院が移転してきて、結局今も8軒のお寺があります。そのうちの1軒常光寺は福沢諭吉が最初に埋葬されたお寺で(昭和52年に麻布の善福寺に改葬)、慶應義塾大学が建てた供養碑があります。


             


            この増上寺下屋敷には他にも伊東深水が描いた天井画のある隆崇院もあります。伊東深水は日本画家ですが、画家としてより女優の朝丘雪路のお父さんとして有名です。


            これら増上寺下屋敷からほど近い白金台駅で、今回の古地図散歩は終わりとなりました。




            今回のコース
            不動前駅→目黒不動→青木昆陽の墓→海福寺→五百羅漢寺→蛸薬師→岩屋弁天→太鼓橋→行人坂→大圓寺→妙圓寺→池田山公園 →常光寺→清岸寺→白金台駅


            歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

            4月12日 古地図散歩に行こう!九段下〜高田馬場

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              江戸時代の古地図を見ながら東京にのこる「江戸時代」を探して歩く古地図散歩、4月12日は九段下から高田馬場までを歩いてきました。


              今回の集合地点は九段下。過去に地下鉄構内を集合場所にして何人も行方不明者を出した教訓から、今回の集合場所は地上の九段下交差点。なにしろ地下鉄九段下駅は複雑すぎて、集合地点までたどり着けないのだ。


              九段下にある田安門前から出発。これは田安門前の前にある大山巌(西郷隆盛の従兄弟、日露戦争時の陸軍総司令官)の像。けっしてラオウ像ではありません。


               



              ちなみに江戸時代の地図の左上に名前のある「小泉次大夫」は、川崎市にある用水路で今は桜の名所としても知られている二ヶ領用水を造った人。


              飯田橋駅前にある牛込門の跡を過ぎ、神楽坂を上ります。神楽坂の名の由来は近くにある若宮八幡宮の神楽の音楽が聞こえたからとも、坂道の途中にある穴八幡のお旅所で神楽が奉納されていたからとも言われています。


              この坂道を上ると毘沙門天で有名な善国寺です。幕末期に奉納された狛犬ならぬ狛トラは、第二次大戦の空襲でボロボロにされながらも今も本堂を守っています。


               



              ちなみに善国寺境内の絵馬は、最近「嵐絵馬」として知られていて、ジャニーズの嵐がここでロケを行って以来、嵐のコンサートチケット入手を願う絵馬が多量に奉納されるようになりました。


              先に進みます。ここはNHKの「ブラタモリ」にも出てきた袖摺坂。


               



              済松寺は由比正雪がこの境内を借りて居住し、塾と道場を開いていたお寺です。それが原因で由比正雪の乱が起こった後、お寺は境内を削られてしまったので、正雪が住んでいた場所は現在は大日本印刷の工場になっています。

               



              なお、江戸時代の地図に宗参寺とあるお寺には、忠臣蔵に出てくる「山鹿流陣太鼓」でおなじみの軍学者山鹿素行のお墓があります。


              高田馬場の跡に着きました。江戸時代の地図に描いてある高田馬場のちょうど右端辺りに説明板が設置してあります。


               



              高田馬場は堀部安兵衛(当時は中山安兵衛)の決闘の話で有名ですが、この決闘話は盛大に尾ひれが付いて後世に伝わったものです。そもそも置き手紙で兄弟子の決闘を知った安兵衛が押っ取り刀で駆けつけるという話もウソでして、記録に残っている事実では、安兵衛は兄弟子と一緒に決闘場所である高田馬場に行っています。


              ついでに言いますとこのときの安兵衛には「18人斬り」とか「36人斬り」なんて話がありますが、これらも全てウソで、決闘の相手は3人しかいませんでした。




              今回のコースと見どころ
              九段下交差点→蕃書調所跡→弥助砲→田安門→硯友社跡→山岡鉄舟実家跡→梶川与惣兵衛邸跡→坪内道場跡→牛込門跡→神楽坂→善国寺→牛込城跡 →天文台跡→尾崎紅葉旧居跡→正雪地蔵→由比正雪旧居跡→夏目漱石終焉の地→宗参寺→夏目漱石生誕地→穴八幡→高田馬場跡


              歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

              3月22日 古地図散歩に行こう!竜閑川跡

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                江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く古地図散歩、3月22日は竜閑川の跡を歩いてきました。


                竜閑川は江戸時代前期に掘られた水路で、神田の外堀から始まり、途中直角に曲がって浜町堀と名を変えて隅田川へと流れ込んでいました。


                なお、竜閑川の名は、神田の竜閑川が始まる辺りに「井上竜閑」という幕府の茶坊主の屋敷があったことが由来という説があります。


                この竜閑川も昭和25年に戦災の瓦礫を処理するために埋め立てられてしまい、現在は残っていません。しかし、その跡地は今も道路や公園となってくっきりと見て取ることができます。






                このビルの谷間の細い道が竜閑川の跡です。途中には、小伝馬町の牢屋敷跡などたくさんの史跡があります。





                小伝馬町牢屋敷跡は現在は公園になっています。その一角にここで処刑されたといわれている吉田松陰の碑があります。


                竜閑川が直角に曲がっていたところは、現在竜閑児童公園になっています。川の跡の道路から直線上の公園内には、川と橋を象った造形物があります。






                浜町堀の跡は、そのほとんどが遊歩道や公園になっています。少し寄り道をすると、寛政の改革で銀座(地名)から蛎殻町に移転させられた銀座(銀貨鋳造所)の跡があります。その跡地の一部は現在料亭街になっていて、とても景観のよい小路となっています。




                浜町堀の跡は、箱崎ジャンクションの手前で終わりますが、古地図散歩はかつて「中洲」と呼ばれていた隅田川の葦原跡の埋立地を通って清州橋のたもとまで歩いて終了となりました。


                今回のコースとみどころ
                神田駅→竜閑橋跡→白旗神社→今川橋跡→時の鐘跡→小伝馬町牢屋敷跡→竹森神社・竜閑児童公園→三光稲荷神社 →橘稲荷神社→玄冶店跡→蛎殻銀座跡→大観音寺→西郷隆盛邸跡→谷崎潤一郎誕生の地→中洲跡→清洲橋


                歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

                3月15日 古地図散歩に行こう!白金台〜田町

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                  江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く「古地図散歩に行こう!」、今回は白金台駅から田町駅まであるくコースでした。


                  白金台は室町時代にこの辺りを領していた豪族の柳下上総介が大量の白金(銀)を所蔵していたことから「白金長者」と呼ばれていたことが地名の由来です。


                  江戸時代の初期には大名の下屋敷が農地の中に点在し、夜になると人通りも少なくなり辻斬りや強盗が出没したことから、幕府が税の軽減を条件に町人を移住させて無理矢理町を創ったという歴史もあります。


                  この白金台には、あまり知られていませんが国の重要文化財に指定されている瑞聖寺があります。

                   



                  日本で最初に建築された黄檗宗の寺院です。臨済・曹洞と並ぶ禅宗の宗派の一つですが、これらが鎌倉時代に日本に入ってきたのに対して、黄檗宗は江戸時代前期に日本に伝わりました。比較的新しい宗派です。



                  白金台から坂道を下ると、向かいにある上り坂の上が三田台になります。三田台の方は大名の下屋敷と寺院が密集していた地域です。


                  ここにある細川越中守の屋敷は、肥後の細川家の中屋敷です。元禄時代に吉良上野介邸に討ち入った赤穂四十七士のうち、大石内蔵助ら17名が預けられ切腹した屋敷です。その切腹の跡地と伝わる場所が今も残されています。

                   



                  赤穂四十七士は、寺坂吉右衛門を除く46名が4家の大名に預けられた後に切腹をしました。今回のコースでは、そのうち3家の大名屋敷の跡地を訪れますが、その1つである伊豫松山藩松平家の屋敷跡はイタリア大使館になっていて立ち入ることができません。



                  訪れた赤穂浪士切腹の地のもう1箇所は、水野家の屋敷跡です。この水野家は徳川家康の母親の実家に当たる家で、赤穂浪士の討ち入り事件が起こったときには岡崎藩主でした。

                   



                  現在は田町駅近くの居酒屋街の中に、ひっそりと説明板だけが立てられています。



                  今回のコースと見どころ
                  白金台駅→瑞聖寺(国の重要文化財)→覚林寺(加藤清正ゆかりの寺)→樹木谷→大石内蔵助切腹の地(細川家屋敷跡)→長松寺(荻生徂徠の墓)→幽霊坂→玉鳳寺(おしろい地蔵)→正覚院(福島正則の墓)→宝生院(陣幕の碑)→三井倶楽部前(ジョサイア・コンドル建築)→イタリア大使館(赤穂浪士切腹の地)→龍生院(渡辺綱産湯の井戸)→春日神社(平安時代建立)→水野家屋敷跡(赤穂浪士切腹の地)→田町駅


                  この「古地図散歩に行こう!白金台〜田町駅」コースは、今後も開催予定です。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、予定を公開しますので、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。
                   

                  3月8日 古地図散歩に行こう!御徒町〜茗荷谷

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                    江戸時代の古地図を見ながら東京の街歩き、歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、今回は御徒町駅から茗荷谷駅まで歩いてきました。ちょっと衝撃的な石仏が連発しますので、ショックに弱い方はご注意ください。

                     


                    今回の集合地点は御徒町。なにやら駅前でイベントをしていましたが、御徒町は江戸時代の初期に、将軍が外出するときにその警護や先触れをするのが役割だった「御徒組」が組屋敷を構えていたことが地名の由来と言われています。


                    御徒町駅前からまっすぐ進むと湯島天神に出ます。梅の季節で境内は人でいっぱい。


                     


                    江戸時代から湯島天神境内は混み合っていたらしく、その証拠に迷子探しに使われていた「奇縁氷人石」なるものがあります。これは迷子の特徴を書いた紙を貼っておくと、迷子を見つけた人がいた場所を紙に書いて反対の面に貼り、そうして迷子を見つけたというものです。人が混み合った場所には迷子はつきものだったのです。


                    ところでこの奇縁氷人石、「氷人」という言葉には「仲人」という意味があるそうです。「奇縁」に「氷人」ときたら縁結びですね。迷子だけではなく、この石はお相手探しにも使われていたらしいのです。「いい子いない?」と書いた紙を貼っておくと、「社長さん、いい子いますよ♪」という紙が反対面に貼られていたという調子です。


                    この湯島天神から出ると、目の前には春日通りが通っています。この春日通り、名前の由来は春日局です。3代将軍徳川家光の乳母として大奥で権勢を振るった春日局ですが、そのお墓が春日通り沿いの麟祥院にあります。


                     


                    江戸時代の地図に「カラタチテラ(からたち寺)」と書いてあるのは、かつてはカラタチの生け垣に囲まれていたから。この寺の墓域にある春日局の墓碑には穴が開いていますが、これはあの世に行ってもこの世の御政道を見通すためだそうです。


                    この穴をこちらから覗いてみると、向こうからも誰かがこっちを見ているというちょっとオカルトな墓石ですが、「見通す」→「通る」ということで、受験生がお参りすると試験に通るという御利益があるそうです。


                    御利益といえば、小石川にある源覚寺のこんにゃく閻魔は眼病が治る御利益があります。昔、目の悪いおばあさんが好きだったこんにゃくを絶ってこの閻魔さまにお祈りしたところ、目が見えるようになったそうです。そこでこんにゃくをお供えして祈願すると目が良くなるのです。


                    このこんにゃく閻魔の境内に、塩地蔵があります。塩をお供えして願をかけるお地蔵さんは日本各所にありますが、この塩地蔵様はというと・・・


                     


                    お地蔵さん、どこ?!


                    こんにゃく閻魔から伝通院に向かいます。今回の古地図散歩では、春日局ばかりではなく徳川家の女性ゆかりの場所を回るのですが、伝通院は徳川家康の母於大の方の菩提寺です。墓域にあるひときわ大きな五輪塔がそのお墓です。

                     


                    ここには於大の方ばかりではなく、家康の孫の千姫のお墓や、その他にも将軍の妻や大奥の女中たちのお墓がたくさんあります。変わったところでは、幕末に攘夷を唱えて暗殺された清河八郎のお墓もここにあります。


                    ところで伝通院の門前にあった福聚院、江戸時代の地図を見ると三国伝来大黒天と書いてあります。大黒様はもともとインドの合戦の神様。ここの大黒天は武装した姿をしています。ただし秘仏です。


                    この福聚院の境内にはちょっと変わったお地蔵様があります。それがとうがらし地蔵で、そのお姿はというと・・・


                     


                    とうがらしの首飾り!!


                    まるでレイのようにとうがらしを首にかけています。これは喘息のおばあさんが医者が止めたにもかかわらずとうがらしを食べ続け、咳が止まらなくなって死んでしまったそうなのです。このおばあさんを弔うためのお地蔵様で、そのためとうがらしを供えてお祈りすると咳が止まる御利益があるそうです。


                    衝撃的なお地蔵さんがつづきますが、最後はもう茗荷谷駅の近く、林泉寺にあるしばられ地蔵です。縛り付けて願をかけると願いが叶うというお地蔵さんなのですが・・・


                     


                    縛られすぎじゃろ!!


                    古地図がなくてもお地蔵さんだけでお腹いっぱいになりそうなコースでしたが、歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

                    1月11日 古地図散歩に行こう!半蔵門〜新宿

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                      平成26年1月11日、歩き旅応援舎のウォークイベントの初日です。


                      午前中に引き続いて、江戸時代の地図を見ながら東京の町をあるく「古地図散歩」を午後も開催いたしました。


                      午後のコースは半蔵門から新宿まで。新宿はかつての甲州道中の宿場町だった内藤新宿の跡まで歩きました。


                      まずは半蔵門。門の向こうは皇居であるため、門に近づくことはできませんが、その正面から歩き始めます。


                       


                      半蔵門の前から西に延びる太い道は旧甲州道中。江戸の五街道の一つです。甲州街道と呼ばれることが多いのですが、江戸時代の正式な名称は「甲州道中」です。


                      平河天満宮や“首斬り浅右衛門”の屋敷跡などを見てから坂道を下っていきます。坂道を下りきったところが清水谷。ここにあった紀州藩邸内から好い清水の湧く井戸があったことが地名の由来と言われています。


                       


                      現在は跡地の一部が清水谷公園となり、江戸に生活用水を引いていた玉川上水の石枡などが置かれています。


                      この辺りには紀州藩邸、尾張藩邸、彦根藩井伊家屋敷が隣り合わせていたことから、その間の上り坂を紀尾井坂と呼びます。明治11年(1878)に大久保利通が暗殺された場所としても知られています。さっき立ち寄った清水谷公園にも、大久保利通の碑があります。


                      紀尾井坂を上り、迎賓館の前を通って四谷の寺町に入ります。江戸時代前期の寛永13年(1636)に江戸城の大拡張工事が行われて外堀が築かれました。外堀内は城中となるため、そこにあった寺々は原則として外堀外側に移転しました。こうしてできあがったのが四谷の寺町です。



                      その寺町の一角には、四谷怪談で知られたお岩を祀るお岩稲荷があります。

                       


                      四谷に伝わるお岩の話は怪談話とはだいぶ違い、夫を支えて家をもり立てた良妻なのです。そのため縁結びや商売繁盛を祈ってお岩稲荷を訪れる人が大勢いるのです。


                      いよいよ新宿に入りました。たくさんのショッピングスポットが並んでいます。人も大勢歩いています。そんな雑踏の中にある新宿三丁目の交差点、じつはここに碑があり足下には図が書かれています。ここは甲州道中と青梅街道の分かれ道、すなわち追分だった場所です。


                       


                      いまや気付いている人も少なくなった新宿追分。新宿三丁目の交差点に行かれた際には、是非地面にかかれた図を見てみてください。今回の古地図散歩は、この新宿追分で終わりとなりました。


                      今回のコース
                      半蔵門駅駅→半蔵門前→どら焼き発祥の地→平河天満宮→首斬り浅右衛門邸跡→金鱗堂尾張屋跡→清水谷公園→紀尾井坂→迎賓館前→塙保己一・高松喜六の墓→豆腐地蔵→須賀神社→於岩稲荷田村神社→長善寺→四谷大木戸跡→太宗寺→新宿追分


                      歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。