8月7日 古地図散歩に行こう!半蔵門〜新宿

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    8月です。暑いです。

    江戸時代の地図を見ながら東京の町を歩く「古地図散歩」ですが、歩き旅応援舎で参加者を募集する形態のものは夏の間はお休みです。ただし個別のオーダーを受けての古地図散歩は行っています。

    8月7日は、奈良から旅行に来ているご夫婦からの依頼で「半蔵門〜新宿」のコースを歩いてきました。


    お二人とも歩き慣れた人たちらしく、30℃を超える気温でしたが、飲み水、帽子、露出の少ない服装と暑さ・日差し対策は万全でした。


    半蔵門駅を出ると、目の前にはどら焼き発祥の地、近くには「首斬り浅右衛門」屋敷跡、そして平河天満宮へとやってきました。


     



    江戸時代後期の天保15年(1843)の青銅製の鳥居のある神社です。鳥居の足下には小さな狛犬、あるいは獅子たち。

    太田道灌が現在の竹橋駅近くにある平川門のそばに建立した神社ですが、徳川家康の行った江戸城大改修に伴ってこの地に移転してきました。


    その先の坂道をくだった先の谷間が清水谷。昔、よい水が湧く井戸があったそうです。ここから明治11年(1878)に大久保利通暗殺事件のあった紀尾井坂を上ると、そこには江戸城外堀で一番古い門だった喰違見附の跡です。今も枡形になった土塁が残っています。


    喰違見附跡を過ぎると迎賓館です。江戸時代には紀伊徳川家の上屋敷だった場所です。もともと紀伊徳川家の上屋敷は清水谷にあったのですが、そこが火事で焼けて以降はこの場所が上屋敷として藩主の住居として使われるようになりました。


     



    ここからは坂道の上り下りが増えてきます。「4つの谷があったから四谷」という説もあるくらいで、とにかく坂が多いです。この坂道の上にも下にも途中にもお寺がたくさんあります。寛永13年(1636)に江戸城の大改修工事があり、外堀が築かれ江戸城の領域が大幅に拡大しました。そして外堀内にあった寺はほとんどが外堀外に集団で移転しました。この四谷にある多くの寺も、そのときに移転してきたものです。


    お寺もたくさんありますが、ところどころに神社もあります。その一つが於岩稲荷田宮神社。あの「東海道四谷怪談」で有名なお岩さんを祀る神社です。


     



    ところが、この地に伝わるお岩さんは怨霊などではありません。田宮家で入り婿の夫を支えて田宮家を栄えさせた良妻がお岩さんだったのです。そのお岩さんが日参していた稲荷神社が、のちに於岩稲荷田宮神社となりました。



    四谷四丁目の交差点には、江戸時代に四谷大木戸がありました。江戸の外れを意味する大木戸は、当初は夜になると治安維持のために閉じられていましたが、江戸の治安は非常によかったためにほどなく木戸は廃止となり、残っていた石垣も明治時代に撤去されました。


     



    今はこのような碑が残っているだけです。ちなみにこの碑は、ここから始まっていた玉川上水の水道管の石樋の石材から作られています。


    この先からかつての内藤新宿に入ります。江戸幕府が制定した五街道の一つ甲州道中は、当初は最初の宿場が高井戸でした。これは日本橋から遠すぎるというわけで、この地にあった高藤藩内藤家の下屋敷(現在の新宿御苑)の北側を削って新たに宿場を作ったのが「内藤新宿」なのです。この内藤新宿が現在の新宿の発展の基となりました。


    古地図散歩はこの内藤新宿で終わりとなります。暑い一日でしたが、無事に歩き終えることができ、遠方からのお客様にも楽しんでいただけたようで良かったです。



    今回のコースとみどころ
    半蔵門駅駅→どら焼き発祥の地→首斬り浅右衛門邸跡→平河天満宮→金鱗堂尾張屋跡→清水谷公園→紀尾井坂→迎賓館前→豆腐地蔵→須賀神社→於岩稲荷田村神社→長善寺→四谷大木戸・水番所跡→太宗寺


    江戸時代の地図を見ながら東京の町を散策する歩き旅応援舎のウォーキングイベント「古地図散歩に行こう!」は、夏の間はお休みします。次回開催は9月20日の予定です。コースは9月初旬ころに歩き旅応援舎のホームページにて公開する予定です。

    7月13日 古地図散歩に行こう!白金台〜田町

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      江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く古地図散歩、7月13日は白金台から田町までを歩いてきました。


      今回は白金台と三田台の二つの台地を歩くわけですが、江戸時代の白金台は農地の中に大名家の下屋敷が点在していたところ、一方の三田台は江戸城拡張に伴って江戸の中心部から移転してきた寺々が軒を並べる寺院街でした。


      まずは白金台にある瑞聖寺へ。ここは江戸時代の前期に建立された日本最初の黄檗宗寺院です。江戸時代中期に建てられた本堂と門が今も残っていて、国の重要文化財に指定されています。

       



      黄檗宗と聞いても「?」という人が多いと思います。江戸時代に中国からやってきた禅宗の僧侶隠元が起こした宗派なのですが、この隠元和尚は日本にインゲン豆を持ち込んだ人でもあるのです。「黄檗宗=インゲン豆」と覚えましょう!


      瑞聖院の向かいには、江戸時代には薩摩藩の下屋敷がありました。江戸時代の地図に「●松平薩摩守」と書かれているところです。現在ここは結婚式場の八芳園になっています。門前にいた八芳園の人のご好意で庭園を見学させていただきました。

       



      ただ、この庭園は大名屋敷当時のものではなく、30年ほど前に整備されたものだそうです。



      さて、白金台から坂道を下って、さらに上ると底は三田台。今もたくさんのお寺が並んでいます。そのうちの一つ、玉鳳寺には白粉を塗って祈願するときれいになれるという「おしろい地蔵」があります。

       




      これまでも古地図散歩で何度も訪れているおしろい地蔵、多くの人が白粉(実際にはベビーパウダー)を塗って真っ白になっている石地蔵さんですが、あれ?前回来たときよりもさらに白くなっている???


      ここで前回と今回のおしろい地蔵の比較を。

       



      三田台の寺院街から慶応大学の前まで行くと、大学の隣は春日神社。平安時代の国司が奈良の春日大社から勧請を受けて建立したと伝えられる古社ですが、この神社の階段には実は秘密があります。
       



      今回のお客さまは古地図散歩の常連さんで歴史に造詣の深い人でしたので、その階段の秘密にすぐに気付かれました。一見なんの変哲もない階段に見えますが、実はすごい秘密が隠されている非常に珍しいものなのです。



      春日神社からほど近い田町駅まで歩いて今回の古地図散歩はおしまいです。


      今回のコースと見どころ
      白金台駅→瑞聖寺(国の重要文化財)→覚林寺(加藤清正ゆかりの寺)→樹木谷→大石内蔵助切腹の地(細川家屋敷跡)→長松寺(荻生徂徠の墓)→幽霊坂→玉鳳寺(おしろい地蔵)→正覚院(福島正則の墓)→宝生院(陣幕の碑)→三井倶楽部前(ジョサイア・コンドル建築)→イタリア大使館(赤穂浪士切腹の地)→龍生院(渡辺綱産湯の井戸)→春日神社(平安時代建立)→水野家屋敷跡(赤穂浪士切腹の地)→田町駅


      江戸時代の地図を見ながら東京の町を散策する歩き旅応援舎のウォーキングイベント「古地図散歩に行こう!」は、夏の間はお休みします。次回開催は9月20日の予定です。コースは9月初旬ころに歩き旅応援舎のホームページにて公開する予定です。

       

      7月6日 古地図散歩に行こう!江戸の水路跡 日本橋編

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        江戸時代の古地図を見ながら東京を散策する「古地図散歩に行こう!」、7月6日の午後は日本橋界隈で江戸時代の水路の跡をめぐってきました。


        江戸時代の江戸は100万人の人口をかかえる世界最大の都市でした。この多くの人口を養うための経済力は、当時の江戸の町に縦横にはりめぐらされていた堀や川などの水路によって支えられていました。これらの水路を使って運ばれてきた多くの物品が、江戸において取引されて莫大な経済効果を生んでいたのです。


        それらの水路も明治・大正・昭和を時代が移り、運輸や取引方法の変化にともなって不要となり、昭和40年代までにほとんどが埋め立てられてしまいました。


        今回はこれらの水路のうち、今はなきものの痕跡をたどることを中心に、その跡地を歩いてきました。


        日本最大の遊郭吉原は、浅草に移転する前は現在の人形町付近にありました。その吉原を囲んでいた堀の一部は江戸時代を通じて残っていました。

         




        江戸時代の地図に「竈川岸」と書いてある横にある水路がそれです。


        現在は一部は道に、また一部は人家の間の細い通路になっています。


        ここから江戸時代に造成された埋立地、永久島と霊岸島をめぐります。現在は箱崎ジャンクションのある場所はかつての箱崎側の跡、その南側は永久島でした。


        箱崎川には行徳河岸という荷揚場があり、行徳から人や物資が運ばれてきていました。今もその跡地周辺には醤油業者が多いです。


        現在の永代橋は日本橋川の右岸に架けられていますが、江戸時代には左岸にありました。その左岸こそが永久島です。江戸時代の永代橋の跡から豊海橋を渡って現在の永代橋の前まで行きます。この場所が江戸時代の埋立地霊岸島だった場所です。


        霊岸島には運河が掘られていました。その運河「新川」の河岸では酒類が荷揚げされ、付近には多くの酒問屋の蔵が並んでいたそうです。第二次大戦の空襲で新川周辺は焼け野原になり、新川も空襲の瓦礫処理のために埋められてしまいましたが、現在も数軒の酒造会社の事務所や倉庫があります。


        湊橋を渡り日本橋川沿いを北上します。日本橋堀留町、日本橋小舟町の付近は江戸時代に2本の堀があり、その両岸では材木、食料、畳表や傘、雪駄などの生活必需品、非常に多くの品々が荷揚げされていました。ここが江戸最大の物流拠点だったのです。


        この2本の堀、「堀江町入堀」と「伊勢町堀」と呼ばれていましたが、これらの堀も現在は埋め立てられてその中央部は道路に、それ以外の場所はビル街になっています。


        そんな中、ビル工事で発掘された堀の護岸の石垣の一部が歩道の脇に展示されています。

         



        伊勢町堀は「L」字形に曲がっていて、その先端は現在コレド室町のある辺りになりました。コレド室町は最近2と3ができて、多くの買い物客で賑わっています。そのコレド室町2と3の間の道は江戸の遊郭を思わせる装飾となっています。
         




        今回の古地図散歩は、この2本の堀の跡を歩いた後、江戸橋から日本橋まで歩いて終わりとなりました。江戸橋から日本橋にかけては魚河岸のあったところで、江戸近辺の漁師たちが獲った魚を運んできて売っていたところです。関東大震災で壊滅し、築地に移転しました。それが現在の築地市場です。


        江戸の人口を支えた水路の跡をめぐった古地図散歩、秋以降も開催する予定です。
        「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、予定を公開しますので、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

        7月6日 古地図散歩に行こう!竜閑川跡

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          江戸時代の古地図を見ながら東京を歩く「古地図散歩に行こう!」、7月6日の午前中は「竜閑川」の跡を歩いてきました。


          「竜閑川」は江戸時代前期の終わり頃、元禄時代に掘られたと言われている水路です。江戸時代には「神田堀」とか「神田八丁堀」と呼ばれており、外堀から始まり、隅田川側から掘られてきていた浜町堀とつながっていました。「竜閑川」という呼称が一般的になったのは明治以降と思われます。

          今回歩いたルートは、神田駅を出発し外堀沿いの、神田堀→浜町堀→隅田川でした。

           



          昭和25年に戦災における瓦礫処理のために埋め立てられてしまった「竜閑川」ですが、神田駅近くの始点ではビルとビルの間に延びる細い道を見ることができます。この道が埋め立てられた「竜閑川」なのです。
           



          この道の周囲には、様々な史跡があります。時の鐘の跡や小伝馬町牢屋敷、銀座の跡などです。

          神田堀と浜町堀はほぼ直角の角度でつながっていましたが、その結合点部分は現在公園になっています。おもしろいことに同じ公園のなかが「竜閑川」の跡地をはさんで中央区と千代田区に分かれています。

           



          青い看板のあるところが中央区
           



          黄色い看板のあるところが千代田区です。
           



          銀貨の製造所である「銀座」は江戸時代当初は現在の銀座にありましたが、松平定信の寛政の改革で人形町に移されました。当時の地名では蛎殻町の近くですので、移転後の銀座は「蛎殻銀座」と呼ばれていました。


          現在、銀座の跡地は料亭街になっています。

           



          蛎殻銀座の跡から浜町堀跡に戻ります。浜町堀跡は道路に挟まれた緑道になっています。この緑道は箱崎ジャンクションまで続いていますが、ジャンクションがある場所は江戸時代まで隅田川でした。現在の隅田川河畔まで歩いて、この古地図散歩は終了です。

          この日は多少暑かったものの久々の晴れた天気のもと、気持ちよく歩くことができました。



          歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします) 

          「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


           

          6月28日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀4

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            江戸時代の古地図を見ながら東京を散策する「古地図散歩」、6月28日午前中は「江戸城外堀4」のコースを歩いてきました。


            15kmにわたる江戸城の外堀を5つのコースに分けて古地図散歩を開催していますが、今回はその4つめのコース、四ツ谷駅から水道橋駅までになります。


            気になる天気は、前日の予報では昼ころから雨。ところが一夜明けてみると朝からかなりの雨が降っていました。天気予報大外れ、歩き旅応援舎の古地図散歩史上最悪の天気の中での開催となりました。


            前日のうちに「朝から雨」と言ってくれれば、中止にできたのに・・・(←グチ)


            四ツ谷駅前には大きな石垣があります。江戸城外堀にあった四ツ谷門の跡です。ここから外堀の中に造られた公園を通って市ヶ谷へ。市ヶ谷駅も外堀の門の一つ市ヶ谷門の跡に造られた駅です。


            その市ヶ谷駅前の道は、江戸時代初期に造られた市ヶ谷門前の橋の遺構の上にあります。都市の真ん中に、こんなに大きな城門の遺構が残っているのです。

             



            市ヶ谷門の前には、市ヶ谷八幡宮がありました。現在の亀ヶ岡八幡宮です。この八幡宮は、以前にブラタモリでも紹介された・・・
             



            急階段が名物の神社です。境内には青銅鳥居や狛犬をはじめとして江戸時代や明治初期のものがたくさんあります。


            市ヶ谷から飯田橋までは、外堀の向かいが上り坂になっています。それぞれの坂道には名前が付けられています。江戸の人たちは坂道に名前を付けるのがすきだったようです。


            そんな坂と坂の間には、愛敬稲荷神社がありました。江戸時代の地図にはかなり大きく書かれた神社ですが、現在は人家の一角にひっそりと祀られているだけです。

             



            飯田橋駅の前にも江戸時代には城門がありました。牛込門です。JR中央線の前身である甲武鉄道は、軍の後押しによって建設されました。そのため、軍が管理していた外堀と城門の跡地に線路や駅があるのです。


            飯田橋駅の北側で、外堀は北西方向から流れてきた神田川と合流します。ここから神田川は東にほぼ直線ですすみ、隅田川に流れ出ます。この神田川、江戸時代初期に治水と水運と外堀としての役割を担って人工的に掘られた川なのです。


            神田川と合流した外堀に、最初にあった門は小石川門でした。その跡地には現在小石川橋が架かっています。そこからほど近い水道橋駅が今回のゴール地点です。



            歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします)

            「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

            6月24日 よみうりカルチャー町田の古地図散歩 目黒〜白金台

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              6月24日は、よみうりカルチャー町田の屋外講座で行っている古地図散歩「古地図で巡る東京の史跡」の講師をしてきました。


              講師というと偉くなったように聞こえますが、いつも歩き旅応援舎の古地図散歩のガイドとしていることは同じです。言葉のマジックですね。


              この日のコースは「目黒〜白金台」。あれ?今月すでに2回行ったような気がするぞ???そうなのです。別々のカルチャーセンターからいただいている仕事なのですが、どういうわけか同じコースを同じ月にすることになってしまったのです。


              まずは目黒不動から。平安時代に比叡山延暦寺の3世座主が建立したお寺です。そのため不動明王を祀っているのに天台宗のお寺です。(「○○不動」と呼ばれるお寺のほとんどは真言宗なのです)


              第二次大戦の空襲で大きな被害を受けたらしく、江戸時代の建物は2棟しか残っていないのですが、石造物をよく見ると江戸時代に奉納されたものがたくさんあります。仁王門を入ってすぐ右手にあるこの手水鉢も、江戸時代前期の天和年間に奉納されたとても古いものです。

               



              目黒不動周辺に集まっているお寺のうち、目黒不動瀧泉寺、永代橋崩落事故の供養塔のある海福寺、木造五百羅漢像のある五百羅漢寺、タコに乗った薬師如来(秘仏)のある蛸薬師成就院をめぐり、行人坂の方へと向かいます。


              目黒不動では、今日もお坊様に案内をしていただきました。3回にわたってありがとうございました。この日は人数が少なかったこともあり、私もゆっくり話が聞けておもしろかったです。


              目黒川にかかる太鼓橋を渡り、そこから始まる行人坂の急坂を上ります。途中にある大圓寺は、江戸で2番目の大火事となった(1番は明暦の大火です)目黒行人坂の火事の火元となったお寺です。本尊の清涼寺式生身釈迦如来立像は国の重要文化財に指定されています。

               



              行人坂の上には江戸時代には茶屋があり、富士山がよく見えたことから「富士見茶屋」と呼ばれていたそうです。ちなみに落語「目黒のさんま」に出てくる茶屋はここではなく、ここよりももっと北西にあった「爺ヶ茶屋」がモデルです。


              行人坂を上るとそこは白金台。室町時代の豪族「白金長者」が地名の由来です。ここには隠居した増上寺の僧侶が住んでいたことから「増上寺下屋敷」と呼ばれていた寺院群がありました。

               



              江戸時代の地図には6つの寺院しか書かれていませんが、本当は8つの寺院がありました。そのうち3寺は明治以降に廃寺になりましたが、その跡に3寺があらたに移転してきて現在も8つのお寺があります。


              それらの中には福沢諭吉の最初の埋葬地である常光寺や、美人画で知られる日本画家の伊東深水が天井画を描いた隆崇院があります。伊東深水は、「美人画の日本画家」というより「朝丘雪路のお父さん」と言った方がわかりやすいかもしれません。


              「増上寺下屋敷」からほど近い地下鉄の白金台駅まで行って、今回の古地図散歩は終わりとなりました。


              よみうりカルチャー町田で行っている「古地図で巡る東京の史跡」は月1回開催(8月と12月はお休み)、随時受講者募集中です。くわしくはよみうりカルチャー町田のホームページをごらんください。

              6月21日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀3

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                江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く「古地図散歩」、6月21日の午後は「江戸城外堀3」のコースを歩いてきました。


                江戸城外堀の跡は全長約15kmにおよびます。それを5区間に分割して周辺の見どころなどにも寄り道しながら、外堀跡を各5km程度の全5コースに分けてご案内しています。


                「江戸城外堀3」のコースは溜池山王駅集合で四ツ谷駅解散のコースとなります。


                ご参加いただいたのは午前中の「御徒町〜茗荷谷」コースから引き続きのお客様、午前午後で合計約10kmを頑張って歩かれました。


                この日はいきなり寄り道、溜池山王駅から少し離れたところにある勝海舟の住居跡を見に行きました。勝海舟は結婚したての若いころ、幕府で重用されてのち、明治時代初めから死ぬまでの3回赤坂に住んでいます。それらの住居跡3箇所を巡りました。


                幕末に幕府内で重きをなしていたころに住んでいた住居は、氷川神社の隣でした。この氷川神社の社殿は、江戸時代中期である享保14年(1729)に建てられた非常に古いものと言われています。

                 



                それにしても、境内のこの狛犬、桜の枝に頭を殴られていて、いつ見てもかわいそう・・・
                 



                さて、東京メトロ丸ノ内線に「赤坂見附」という駅がありますが、この「見附」とは城門のこと、赤坂見附とは外堀にあった赤坂門の別名なのです。その石垣の一部は現存しています。
                 



                赤坂見附の石垣からは、江戸城外堀が残っています。この堀の内側には、江戸時代には彦根城主井伊家の中屋敷がありました。その庭園の跡は、今もホテルニューオータニの庭園となっています。
                 



                江戸城外堀最古の門である喰違見附跡は、その名のとおり道が食い違っていた場所。ここから外堀の内側に築かれていた土塁が残っています。今は桜の名所として知られている土塁ですが、これらの桜は昭和になってから植えられてものです。土塁上をよく見ると、江戸時代から生えている松の古木もあります。
                 



                上智大学を過ぎると土塁がいったん切れますが、ここが四ツ谷門の跡。「江戸城外堀3」のコースはここで終了、つづきは「江戸城外堀4」にて歩きます。



                歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします)

                「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

                6月21日 古地図散歩に行こう!御徒町〜茗荷谷

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                  江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く「古地図散歩」、6月21日の午前中は御徒町から茗荷谷まで歩いてきました。


                  御徒町は将軍が外出するときにその警護などを行っていた役職の武士「御徒組」の組屋敷があった場所。そこからまっすぐに西へと続く道は江戸時代からあり、その道の先に湯島天神へと上る石段があります。


                  階段下にある心城院はもともとは湯島天神の中にあった弁天堂だったのですが、明治時代の神仏分離で独立したお寺です。この池では願をかけるときに亀を奉納した習慣があったことから、今も亀がたくさんいます。

                   



                  湯島天神から春日通りに出て西へと進みます。春日通りの「春日」は春日局の「春日」です。途中には春日局のお墓がある麟祥院や、春日局の下男たちの屋敷があった春日町の跡や春日局にちなんだ出世稲荷もあります。


                  春日局の銅造のある礫川公園から“こんにゃく閻魔”源覚寺に向かいます。目の見えないおばあさんがこんにゃく絶ちをして本尊の閻魔さまに祈ったら、閻魔さまが片眼をくれたためにおばあさんは目が見えるようになったと伝わるお寺です。今もこんにゃくが山盛り奉納してありますが、驚くべきはその右手にある塩地蔵。なんとお地蔵様の姿が見えないほどに・・・

                   



                  さらに衝撃のお地蔵様は続きます。徳川家康の母於大の方や千姫、清河八郎の墓がある伝通院ですが、その山門前にある福聚院にあるお地蔵様は・・・
                   



                  今度は「とうがらし地蔵」!

                  大好きなとうがらしを食べ過ぎて喘息で死んでしまったおばあさんを弔うためのお地蔵様で、とうがらしを奉納してお参りすると咳止めの御利益があります。


                  さらに坂道だらけの茗荷谷の中の道を進んだところには・・・

                   


                  しばられ地蔵!

                  しばられすぎ!!


                  願いが叶ったら縛った紐を解くそうなのですが、どれが自分がしばった紐なのやら・・・???

                  お客様に1人が、早速願をかけて紐を縛っていました。

                   


                  その願いが叶いますように・・・


                  今回はしばられ地蔵のある林泉寺からほど近い茗荷谷の駅で終了です。距離約5kmを3時間20分ほどで歩きました。ほとんどが初めてのお客様だったのですが、「また参加したい」といううれしいお言葉をいただきました。


                  歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします)

                  「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


                   

                  6月14日・17日 セブンカルチャークラブの古地図散歩 目黒〜白金台

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                    月に2回、セブンカルチャークラブで開催している屋外講座「古地図で巡る江戸・東京」の講師をしてきました。
                    講師というと偉くなったように聞こえますが、やることはいつものガイドと全く同じです。

                    今月は、「目黒〜白金台」コース。目黒不動から始まって、行人坂を上り、上大崎にある「増上寺下屋敷」跡の寺院群をまわって白金台駅へ行きます。

                    目黒不動は延暦寺3世の慈覚大師円仁が建てたと伝わるお寺。夢に出てきた武人の像を木に彫ってみたら、後にそれは不動明王だったとわかって開創したお寺と伝わっています。

                    そのお不動様は現在は秘仏。代わりというわけではありませんが、石段下に湧いている泉「独鈷の滝」の中に水かけ不動様がいらっしゃいます。

                     


                    水かけ不動様はいろんなお寺にいらっしゃいますが、ここの水かけ不動様の特徴は、ちょっと遠いところに立っていること。けっこう思い切り水を浴びせかけないとお不動様にかかりません。柄杓でバシャバシャ水をかけられる様子はちょっとした拷問のようです。



                    目黒不動の隣にある五百羅漢寺では、お坊様が説明をしてくださいました。500体の木造の羅漢像は圧巻です。

                    五百羅漢寺を出て目黒川を渡ると、急激な上り坂が待っています。行人坂です。

                    坂道の途中には大圓寺があります。ここが火元となり、江戸第2の大火事となった行人坂の火事が起こりました。この大圓寺には国の重要文化財「清涼寺式生身釈迦如来立像」が安置されています。

                    この大圓寺のはす向かいにはホリプロがあります。この険しい行人坂を上り下りしないといけないホリプロのアイドルたちは、みんな丈夫で太い足をしています(←うそです)。



                    行人坂を上ると、その上は白金台に入ります。室町時代の豪族柳下上総介はこの地を領して、現在自然教育園のある場所に館を構えていたのですが、白金(銀)をたくさん所有していたことから「白金長者」と呼ばれるようになりました。現在の地名「白金台」はここから来ています。

                    ちなみに「シロガネーゼ」という言葉がありますが、地名の「白金」の読み方は「シロカネ」と濁りません。

                    江戸時代には畑の中に大名の下屋敷とお寺があるだけで寂しい場所だった白金台は、夜になると夜盗や辻斬りが横行して大変治安が悪かったそうです。そのために幕府が町人を移住させて町を造り、治安を回復しようとしたといいます。



                    そんな下屋敷の一つが、江戸時代の地図に「●松平内蔵頭」と書いてあります。「松平」と書いてありますが、実は備前岡山の藩主池田家の下屋敷だったところです。大きな大名のほとんどは幕府から松平の姓を賜っていたので、地図には「松平」と書かれていることが多いのです。

                     


                    今も当時を偲ぶような回遊式庭園となっています。



                    ここからほど近い場所に増上寺の下屋敷跡の寺院群があります。増上寺のお坊さんが隠居後に住んだお寺なので「下屋敷」と呼ばれていました。もともと8ヶ寺あったところが3ヶ寺が廃寺となり、3ヶ寺がやってきて、今も8ヶ寺あります。

                    福沢諭吉が埋葬されたお寺や江戸時代の門と本堂の残るお寺、日本画家の伊東深水が天井画を描いたお寺もあります。

                     


                    なぜか江戸時代の地図には6つしかお寺の名前が書かれていません・・・

                    増上寺下屋敷跡から白金台の駅まで歩いて、今回の古地図散歩は終わりです。



                    今回はセブンカルチャークラブで行った古地図散歩でしたが、この「目黒〜白金台」のコースは歩き旅応援舎でも開催しています。開催日程などは歩き旅応援舎のホームページをごらんください。

                    6月14日 古地図散歩に行こう!田町〜赤坂

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                      6月14日午後1時30分から、田町〜赤坂の古地図散歩を開催しました。

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                      田町駅は江戸時代には海でした。今も駅の近くに漁師が魚を荷揚げしていた「雑魚場跡」の碑があります。

                      海沿いに薩摩藩の蔵屋敷があり、西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城を決めた会見はここで行われました。あまり知られていませんが、田町駅の改札前通路には西郷隆盛と勝海舟の会見の様子の壁画があります。

                       




                      その場所から見えているNEC本社ビルがあるところが薩摩藩上屋敷跡です。戊辰戦争はここで起こった薩摩藩邸焼き討ち事件が契機となって起こりました。

                      金杉川に出ました。幕末にはこの川に架かる中ノ橋のたもとでイギリス公使館通訳のヒュースケンの、一之橋のたもとで新選組発足のきっかけを作った清河八郎の暗殺事件が起きています。

                       




                      急激な狸穴坂を上り、六本木の裏通りに入ると昔はお寺が並んでいた一角です。今も不動院は残っていますが、その他のお寺は移転してしまったものが多いのです。そんな小径のかたわらには、移転されずに残っている古い五輪塔もあります。

                      東京ミッドシティとなりにある檜坂公園は都会のオアシスみたいな場所ですが、ここは長州藩毛利家の下屋敷の庭園跡です。江戸時代の地図の「松平大膳大夫」と書いてあるのが長州藩下屋敷で、その右上の部分が公園になっています。

                       




                      再び急坂の三分坂。ここにある報土寺には史上最強の力士、254勝10敗、勝率9割6分2厘の雷電為右衛門の墓があります。実はその雷電、この寺に派手すぎる鐘を寄進して、幕府によって江戸を追放されるという悶着も起こしています。

                      今は飲食店や商店が建ち並ぶ赤坂見附駅前ですが、その中に江戸時代からつづくお寺が2軒あります。浄土寺と威徳寺です。浄土寺は青銅製の地蔵像で、威徳寺はお不動様をはじめとした五大明王で知られています。

                      この2つのお寺にお参りして、今回の古地図散歩は終わりです。

                      ※今回は当日の写真撮影をしませんでしたので、写真は下見のときのものです。

                      歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末開催しています。くわしくは歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。